光忠寺とは
名称
寳林山一行院光忠寺
開山
1487年
宗派
浄土宗
宗祖
法然上人
総本山
知恩院
本尊
阿弥陀如来
開山
秀譽上人
現住職
齋藤明秀
宗派-浄土宗の教え

光忠寺は、浄土宗(総本山知恩院)の寺院です。浄土宗は今からおよそ850年前、法然上人によって開かれました。
本尊は「阿弥陀如来」。阿弥陀さまはすべての人を平等に救う仏さまであり、私たちはそのお慈悲を信じ、「南無阿弥陀仏」とお念仏を称えます。
お念仏の実践は、心を落ち着かせ、人との関わりを和やかにし、やがて安らぎに満ちた浄土へと続く道となります。浄土宗HP
光忠寺年表
長享元年(1487年)
形原松平家二代・貞副が、初代・佐渡守與副の菩提を弔うため、天蓮社秀譽上人と共に三河国宝飯郡形原(現・愛知県蒲郡市)に創建
戦国~江戸期
形原松平家の所領転封に伴い、上総五井・摂津高槻・丹波篠山へと順次移転
寛延元年(1748年)
丹波亀山(現在地)へ移転
江戸時代末期
三宅村の大火災により、諸堂のほとんどを焼失
明治時代
廃仏毀釈の影響もあり、財政的困難から再建が叶わず、納屋を仮本堂とする
平成7年(1995年)
第三十三世・光譽義彦と檀信徒総代・世話人等の発願により、焼失から140年の時を経て現在の堂宇を再建
住職 齋藤 明秀
1985年、亀岡市生まれ。佛教大学卒業後、浄土宗宗務庁(包括宗教法人)やひとり親・子ども支援のNPO法人などでの勤務を経て、2023年より光忠寺住職に就任。2024年からは宗福寺(矢田町)の兼務住職も務める。柔道四段。
経歴
2008年-佛教大学卒業(浄土宗教師資格取得)
2008~2020年-浄土宗宗務庁 職員
2020~2023年-認定NPO法人おてらおやつクラブ 職員
2023~2024年-NPO法人きょうとNPOセンター 職
2024~現在-京都府庁 職員

光忠寺住職から皆様に
当寺のホームページをご覧いただきありがとうございます。
住職の齋藤明秀(さいとうみょうしゅう)と申します。
生まれも育ちも亀岡。令和5年、先代住職よりこの寺を引き継ぎました。
佛教大学在学中に僧侶となるための修行(加行)を成満し、卒業後は浄土宗宗務庁に12年間勤務。その後、ひとり親家庭を支援するNPO等での仕事を経て、現在は住職をしながら、京都府庁の職員としてNPO等の地域活動団体を支援する仕事に携わっています。
こうした経験のなかで、いつも感じてきたことがあります。どんな場所にも、何かしらの「生きづらさ」を抱えておられる方が、本当にたくさんいるということです。
現代社会には、
「他者の期待に応えなければならない」
「何かにならなければならない」
「競争に勝たなければならない」
「評価・承認されなければならない」
――そんな空気が漂っています。
気づけばいつの間にか、自分ではなく他人のレールの上を歩いている。苦しくなるのは、当たり前のことかもしれません。
「普通にしなさい」「普通はこうでしょ」
でも、普通って何でしょう。普通の根拠なんて、どこにもないのです。
光忠寺は、そのような方々にとって、少しでも「ほっ」とできる場所でありたいと思っています。
何者にもならなくていい。変わらなくていい。自分の「好き」、自分の「心地よい」、自分の価値観を大切にしながら、ただここにいられる場所。結果ではなく、今という人生のプロセスそのものを大切にできる場所。
純粋に祈りたいときに祈り、学びたいことを学びたいときに学ぶ。そんな、ありのままの自分に還ってこられる場所として、皆さまをお迎えしたいと考えています。
どうぞ、気軽にお参りください。
住職 齋藤明秀


縁起 -500年を超える歩み
光忠寺は、今から約530年前の長享元年(1487年)、愛知県蒲郡市にあたる三河国・形原(かたはら)の地で創建されました。松平家第三代・信光の子で形原松平家の祖となった佐渡守・與副(ともすけ)公の菩提を弔うため、二代目・貞副公が天蓮社秀譽上人とともに建立したと伝えられています。寺の名は、與副公の法名に由来します。
その後、形原松平家の所領替えに伴い、上総五井(千葉)、摂津高槻(大阪)、丹波篠山(兵庫)と各地を転々とし、寛延元年(1748年)、ようやく現在の亀岡の地に落ち着きました。
江戸時代末期には三宅村の大火で諸堂が焼失。明治の廃仏毀釈によってさらなる苦難を受け、長らく納屋を仮本堂として過ごすことを余儀なくされました。こうした艱難を乗り越え、平成7年(1995年)、第三十三世・光譽義彦上人を中心に檀信徒・世話人の願いが結実し、失われてから実に140年ぶりに現在の本堂が再建されました。

家紋 -「丸に利の字」に込められた願い
江戸時代後期に創建
形原松平家の家紋は「丸に利の字」。その由来は、戦場に掲げられた「利即是」の旗にあります。
これは浄土宗のお経の一節、「利剣即是弥陀号 一声称念罪皆除(りけんそくぜみだごう いっしょうしょうねん ざいかいじょ)」からとられたものです。「阿弥陀仏のみ名をひとこえ称えるだけで、鋭い剣があらゆるものを断ち切るように、すべての罪が滅せられる」という深い意味を持ちます。家紋はまさに、阿弥陀仏の大いなる救いの力を象徴しています。(wikipedia:形原松平家)

光忠寺仏涅槃図
亀岡市指定文化財・京都府暫定登録文化財
室町時代中期(約550年前)に書かれた絹本着色の仏画で、お釈迦さまの入滅の場面を描いたものです。
弟子や菩薩、動物たちまでもが悲しみに集う姿が表され、仏教の慈悲の世界を象徴しています。
丹波亀山藩ゆかりの涅槃図で、江戸時代には亀山藩主、松平信岑公による修復の記録が残ります。長らく行方不明でしたが令和二年に発見され、修復を経て、光忠寺にお戻りになりました。

糸繰姫伝説 -境内に残る「血染めの石」
光忠寺の境内には、「血染めの石」と呼ばれる石が静かに残されています。
昔、亀山藩のお殿様が町の織屋の娘に恋をし、「糸繰姫」と呼んで深く寵愛しました。しかし政務がおろそかになることを案じた家臣たちの諫めを受け、殿様はついに改心。「姫を城から実家へ下ろせ」と命じます。ところが家臣が「下ろせ」を「殺せ」と聞き違え、姫は無念の最期を遂げることになりました。
姫の血で赤く染まった敷石は三つに割れ、一つは生家へ、一つは城内へ、そして最後の一つが光忠寺に納められ、手厚く供養されたと伝わります。境内のその石は今も、哀しい伝説を静かに物語り続けています。

大切な方が亡くなられたら
お寺へのご連絡
01
通夜及びご葬儀の日程確定前にお寺までご一報ください
TEL0771-23-4851
日程や場所等が確定後にお電話をいただきましても、住職の都合がつかない場合があります。
【その際、以下の内容をお知らせください】
- 亡くなられた方の氏名(漢字と読み方)、生年月日、満年齢
- 法名(戒名)の有無(生前に戒名をお授けされておられる場合があります)
- 喪主の氏名、故人との関係性、連絡先
枕経(まくらぎょう)
02
枕経とは、お亡くなりになられた方がご自宅等に戻られてから、住職が枕元でお経をあげる最初の儀式です。仏さまのお弟子として浄土への旅立ちを見送ります。通夜から葬儀までの段取りをご相談させていただく時間でもあります。
通夜(つや)
03
通夜とは、葬儀の前夜に執り行う法要です。もともとは遺族や親族が夜通し故人のそばに寄り添う、身内だけの静かな時間でした。やがて僧侶を招いてお経をあげ、故人の安らかな旅立ちを祈る形が一般的になり、現在の通夜の形へと変わっていきました。
浄土宗の通夜では、念仏を中心にお経・法話などを行い、故人の冥福をお祈りするとともに、故人の生前の罪(仏教的な)を懺悔するという意味合いもあります。
葬儀(告別式)
04
葬儀式とは、故人を極楽浄土へと送り出すための儀式です。単なるお別れの場ではなく、阿弥陀さまのお迎えを仰ぎ、故人を仏さまのお弟子として浄土へ導くことを目的としています。
なかでも「引導(いんどう)」は葬儀の中心となる儀式で、住職が故人に浄土宗の大切な教えを伝え、「南無阿弥陀仏」の念仏とともに極楽への旅立ちを導きます。
荼毘式(火葬)
05
葬儀式が終わると、棺を霊柩車に乗せて火葬場へと向かいます。火葬の前に僧侶が「荼毘式」のお経をあげ、故人の浄土への旅立ちをお見送りします。火葬が終わると、遺族みんなで箸を使ってお骨を骨壺に納める「収骨」を行います。
中陰
06
中陰(ちゅういん)とは、人が亡くなられてから四十九日までの期間をいいます。一般的には、亡き方が次の生を受けるまでの大切な過程とされ、七日ごとに供養を重ねてまいりました。しかしながら、浄土宗では、臨終のときに阿弥陀さまのお力によって極楽浄土へ往生されるとしています。
そのため四十九日までのご供養は、故人を偲びつつ、ご遺族が仏道に心を向ける大切な機縁と考えております。ご家庭によって、毎七日ごとにお勤めされる場合や、三七日・五七日・満中陰(四十九日)のみとされる場合もございます。ご希望がございましたら、住職まで日程のご相談をお願いいたします。
なお、ご家族の都合により、正当日に都合がつかない場合は、前後の日程で行われる場合もございます。
満中陰(四十九日)
07
満中陰(四十九日)とは、亡くなった日から49日目に行う法要です。仏教では、人は亡くなってから49日間を「中陰(ちゅういん)」と呼ばれる旅の途中にあると考えます。
この期間が終わる49日目に、故人がいよいよ浄土へと落ち着かれるとされ、遺族が集まって法要を営みます。一般的にこの日に納骨も行われることが多く、忌明けの節目となる大切な法要です。納骨当日は「埋葬許可証」をお忘れなくご持参ください(寺での保管が義務づけられています)。
【四十九日までにすること】
- 本位牌(塗りの位牌)を作る。
- 墓石に戒名を刻む場合は石材店へ依頼
光忠寺境内墓地の場合は野口石材店TEL0771-23-6130へ
※仏壇や位牌を用意される場合は、満中陰法要にあわせて開眼法要(お性根入れ)を行います。その際、白木の位牌(通夜葬儀で使用した手書きのもの)は住職がお預かりします。仏壇や本位牌のご購入は仏具店へご依頼ください。お店に心当たりがない場合は住職までご相談ください。
お問い合わせはこちら
【納骨場所等をこれから決められる場合】
光忠寺の境内墓地や他の霊園にお墓を建立されるほか、納骨堂や永代供養合祀墓など、さまざまな形がございます。ご不明な点やご相談がありましたら、どうぞ住職にお声かけください。
お問い合わせはこちら
百箇日(ひゃっかにち)
08
百箇日とは、亡くなった日から100日目に行う法要です。「卒哭忌(そっこくき)」とも呼ばれ、「声をあげて泣き悲しむことに区切りをつける日」という意味があります。遺族が深い悲しみから少しずつ立ち直り、日常へと歩み出す節目として、古くから大切にされてきた法要です。
法要の場所
中陰・百箇日・一周忌などの法要は、ご自宅でも光忠寺本堂でも執り行えます。お布施は頂戴しておりますが、本堂をご利用いただくにあたって、特別な費用はかかりません。ご希望の日程が決まられましたら、光忠寺までご連絡ください。
法要の際の塔婆について
法要の際の塔婆については、寺で用意いたします。塔婆(とうば)とは、サンスクリット語の「ストゥーパ」に由来します。ストゥーパとは、もともとお釈迦さまや高僧のお遺骨(仏舎利)を納め、その徳を偲び供養するために建てられた塚や塔のことを指しました。
やがて仏教が日本に伝わる中で五輪塔や板塔婆の形となり、仏法を象徴するもの、供養のしるしとして広く用いられるようになりました。塔婆にお経や戒名を書き記し、建立することは、亡き方への菩提を願う尊い行いとされています。
境内墓地のご案内-墓碑建立までの流れ
墓地使用申込書のご提出と費用の納入
02
- 永代使用料:500,000円
- 護持会費:6,000円/年(1口)
- 墓地管理費:10,000円/年
石材店打合せ
03
施主と野口石材店(TEL 0771-23-6130)とで、どのようなお墓を建立されるか直接お打ち合わせをお願いします。代金のやり取り等も直接石材店へお願いします。
開眼法要
04
墓碑完成の後、開眼法要を行いますので、住職と日程調整をお願いします。
※納骨がある場合にはその旨もご連絡ください。
光忠寺の年中行事
3月
春季彼岸会
4月
別時念仏会
別時念仏会とは、「別に時を定めて、お念仏をお称えする」法要です。普段の忙しさから離れ、ただ皆で木魚を「南無阿弥陀仏」とお称えする、ゆったりとした気持ちの良い時間となっております。事前の申込や参加費等は不要ですのでお時間のある方はお気軽にご参加ください。

5月
別時念仏会
6月
別時念仏会
7月
別時念仏会
8月
盆施餓鬼会
棚経
8月初旬〜中旬
9月
秋季彼岸会
10月
別時念仏会
11月
十夜会
12月
大掃除/仏名会
令和8年の別時念仏会開催日時
事前の申込や参加費等は不要ですのでお時間のある方はお気軽にご参加ください。
| 日程 | 時間 |
|---|---|
| 3月 | 10:00〜11:30 |
| 4月 | 10:00〜11:30 |
| 5月 | 10:00〜11:30 |
| 6月 | 10:00〜11:30 |
| 7月 | 10:00〜11:30 |
| 10月 | 10:00〜11:30 |